唄えない歌

「ねえ、唄えない歌って知ってる?
唄うことを許されず、そのまま消えていった歌のことさ」
 彼はそう言って僕に向かって少し笑いかけ、すぐに空を仰ぐ。満天の星が黒い空のキャンバスを彩っている。
 幸せそうに彼はハーモニカで一曲奏でた。すごく優しい気持ちになれる曲だった。聞いているだけで笑みがこぼれる。
 風は彼の歌の拍子に合わせるように、僕らが座っている土手の草むらをさらさらと鳴らす。「伴奏が入ったね」なんて僕がふざけて言うと、彼は唄いながら僕に目配せをした。
 唄い終わると、彼は少し長い流れるような茶色い髪をかき上げた。そしてふうと一息つく。僕は拍手をしながら彼に尋ねた。
「何て曲?」
「君は何て曲だと思う?」
 突然問い返されて僕は戸惑った。「えっと・・・・優しさとか・・・幸せとか・・・」無理やり答えてみてから、ベタな回答だなあと思い苦笑する。
「残念。正解は『来ることのない明日』。すごく悲しい曲さ」
 僕が信じられないという風に驚くと彼はニコっと笑って今度は声に出して歌ってくれた。

  明日がある人々が羨ましいと
  わたしはひどく汚れた心を抱く
  壊してしまいたい
  目に映るすべてのものを
  あたしよりも長く生きる人々を

  此処に来た瞬間から
  歩く方向は絶望へと向かっていて
  自由に憧れては窓の外の景色に瞳を逃がした

 ・・・優しいメロディーに悲しい詩が乗り、僕は不思議な気分になった。だけど何故か涙があふれそうになる。泣きそうになっている僕に気付いて彼は唄うのをやめる。
 彼は悪戯にくすっと笑った。
「この詩は病院で入院してた女の子のものさ。絶望的で、悲観的で、僕が出会ったときもひどいものだった」
 彼は思い出を噛み締める様にゆっくりと瞳を閉じる。そしてそのまま柔らかな芝生の上へと倒れこんだ。草の匂いが鼻につく。
「『わたしはどうせしんじゃうんだから』って誰も近づけないで部屋に閉じこもって、絶望的な詩ばっかり書いてたよ」
 そこまで言うと彼は突然屈託もなく笑い出した。夜の闇に彼の笑い声が響く。
「だけどね・・・・これが面白いんだ。その子、こんな悲しい詩を書くのに、つけるメロディーは優しいものばかりなんだよ。長調で、ゆっくりとした優しい曲ばっかり。本当は絶望なんか考えていないんだ。ただ、寂しくて、同情して欲しかっただけなんだよ。かまってほしかっただけ・・・・」
 彼は幸せそうにゆっくりと言い、僕に視線を移した。
「君と良く似ているだろう?」
 僕は答えない。彼はすべてを見透かしているから。
「君がすごく優しい人間なんだってことは僕にもわかるよ。だけど、ちょっと勇気が出ないから一人ぼっちで部屋に閉じこもってるだけなんだよね」
 そんなことない! と威勢を張ることもできた。何も知らないくせに! って言ってやることも出来た。
 でも僕はそうしなかった。否定できなかったから。
 お母さんがすごく困っていることはわかっている。だけど、困らせている限り、お母さんは僕のことだけを考えていてくれた。一人ぼっちじゃないって思わせてくれた。
 お母さんから離れたら、僕は一人ぼっちを感じてしまう。それが嫌だったのだ。
「・・・・女の子は、どうなったの?」
 彼は僕から一瞬目を離した。そして、言う。
「死んだよ。だけど彼女の歌は僕が受け継いだ」
 彼はそう言って、とんっと胸を叩く。そしてやっぱり笑った。
 彼が突然僕の前に現れて、こうやっていろいろな話をして、今までの僕には考えられないことだというのはわかっている。
 だけど、きっと彼と話せるのは彼が特別だからで、それ以外に理由はないのだと、僕はそう思っている。
 だけどやっぱり、聞かずにいられない。
「・・・君は一体、何をしているの?」
 彼は僕の問いに、上半身を起こした。そして軽々と立ち上がって、僕を見下ろす。
「唄えない歌を広めるのが僕の役目さ。消え去られた唄を復興させて歩いてるんだ」
 彼はそう言って星空に向かってもう一曲唄った。これもきっと、その女の子の唄だろう。悲しい歌詞に、すごく優しい歌がついている。
 彼の綺麗なボーイソプラノの声はやはり女の子そのもののように聞こえた。・・・なんて言ったらきっと怒られるだろうけど。
 彼が歌い終わると、僕は彼に向けて微笑みながら拍手をした。
「・・・もう、行ってしまうの?」
「そうだね。そろそろ行かなきゃ」
 彼はグーっと伸びをした。そして「ふわあ」と一息つく。
 僕は思い切って、彼に聞いてみた。
「ねえ、僕もいっしょに連れて行ってよ」
 別れたくなかった。せっかく出来た友達と、別れたくなどなかった。
「僕は此処にいたってお母さんを困らせるだけだし、友達だっていないし。君についていきたいんだ」
 彼は言った。「だめだよ。君には居場所があるじゃないか。生きていく、場所がある」
 彼の笑みが少しだけ曇ったような気がした。寂しそうな笑み。そんな風に見えた。
「だって、別れたくないよ・・・・。君は、悲しくないの?」
 彼は首を傾げる。
「悲しい、というのは間違ってるよ。別れって嬉しいものさ。別れは始まりなんだよ。別れがあるから出会いがある。これから僕が出会う人、どんな人だろうって考えると嬉しくなる」
 僕は少し泣きそうになった。彼は僕の頭にぽんっと手を置く。
「別れを怖れちゃいけないんだよ。僕らは人と出会いながら生きていくんだから」
そう言って彼はやっぱり笑った。
 きっと彼は笑うのが好きなんだ。
 でもやっぱり、彼が笑うのを見ると僕も嬉しくなる。
 だから僕も笑みを返す。
 ほんの少しでもいい、外に出てみよう。そして笑ってみよう。微笑みながら歩いてみよう。
 彼みたいに少しだけ、楽しいことを考えながら。
 彼に僕の部屋まで送ってもらってから、彼はどこかに行ってしまった。
だけど、一言だけ答えてくれた。
「また会えるよね?」
「うん」
 彼はそう言ってハミングしながら去っていった。

 彼の歌は今日もどこかで響いているんだろう。
 誰にも聞いて貰えなかった歌を少しずつ、広めに・・・・・。

                    【終わり】

     

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ヒトコト